先日の5月29日の終活セミナーは、戦争の話を聞く会として元陸軍少年戦車兵の中山譽雄さんにご講演頂きました。
中山さんは、14歳で陸軍少年戦車兵学校に入学し、16歳の時に繰り上げ卒業でフィリピンのルソン島に向かいます。ルソン島では精鋭部隊であった戦車第10連隊第五中隊に配属され、米軍との戦闘が始まって以来果敢に戦い続けました。しかし、日本軍戦車隊の損害は大きく、ついに爆薬をつけた戦車での体当たり攻撃、すなわち「戦車特攻」を行うよう中山さんの部隊に命令が下ります。中山さんは先頭の九五式軽戦車の車外員としてこの作戦に参加するも奇跡的に生還されました。戦車を失った中山さんらは歩兵としてルソン島の山奥で戦いを続けます。山間部では正規兵との戦闘の他にも現地人ゲリラの襲撃や、物資不足による飢えや病によって多くの戦友が亡くなられたそうです。
中山さんは9歳のときにお父さまを日中戦争で亡くされていました。軍人を志した理由の一つに父の敵討ちをするという気持ちもあったそうです。最後に「過酷な戦場から自分が帰ってこれたのは父が守ってくれたように感じた。」とおっしゃられていたのが印象的でした。
中山さん、ご参加頂いた皆様ありがとうございました。また次の終活もよろしくお願い致します。
その晩に、裏の用水路で蛍が飛んでいるのを見つけました。写真を撮ろうとデジカメを向けたところ、そっと自分の手にその蛍が止まってくれました。私は「亡くなった祖父や先の大戦で戦死された英霊が来てくださったのかな。」と思わずにはいられませんでした。やはり私たちも誰かに守られているのでしょうか。